
義良親王が島に滞留していた間、漁師たちは出船入船のつど、ここにひざまづき親王を拝したという。
現在は埋め立て地になっていて残念。

義良親王が島に滞留していた間、漁師たちは出船入船のつど、ここにひざまづき親王を拝したという。
現在は埋め立て地になっていて残念。

離れ島だったが埋め立てられて歩いて公園へ行ける。
行き交う船からも展望がきき、春には桜が満開に。会津八一の句碑もあり、島の新名所として訪れる人も増えている。

日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)は、外宮の御鎮座以来千五百年間、毎日朝夕の二度、天照大御神をはじめ別宮の神々にお食事を奉る。この中手島は伊勢神宮の管理地となっている。

篠島の旅はここに始まり、旅の思い出はここに始まる。
島への渡船が営業を目的にスタートしたのは明治26年(1893年)のこと。